遥かなる トルコ ヒッタイトのグリーンストーン
二十代最後の年、一年数か月かかった現場終了後、7日間の休暇が取れることになりした。
この休みを利用しない手はないと思い、即座に決断。
憧れだったイスタンブール、カッパドキアに行ってきました。(9日間)
今になって行っておけばよかったと思うのが、ヤルズガヤのハットウシャ遺跡です。
ここはなんと、古代ヒッタイト帝国の首都だったんです。
(ワクワクしませんか?・・おいどんだけ・・)
歴史の授業で習ったこと覚えてますか?
最初の鉄器文化を築き上げたというヒッタイトです。
(紀元前17世紀から紀元前12世紀)
最大時はトルコの国土の約半分を占めるまでの大きさで、古代エジプトの勢力圏とも接点があったとのことです。
神殿跡、王城跡などの礎石が数多く残されています。
なーんだ、残っているのは礎石だけかと思ったら大間違い。
なんと、紀元前1274年 古代エジプトとの戦争があり、その和平条約が取り交わされた後、和平のあかしとして贈られた(らしい)グリーンストーンがあるのです。(約3300年前)
しかも、これは有名なラムセス2世(エジプト新王国時代最盛期のファラオとして、在位約70年君臨した。)から贈られたのものなのです。
(ドキドキしますな。本当に。)
誰にも持ち去られることも、破壊されることもなく・・・
もー。本当に見に行って触りたいのです・・・
何かすごいパワーもらえそうな気がするど。
お金ためて行っちゃお!
(回想)
イスタンブールで出会った、トルコの人に、
「ノアの箱舟があるというアララット山を見に行きたい。」と言うと、
「先日もクルド人に襲われて、数名の死傷者が出たため、東部方面はいかないほうがいい。」と言われ、予定変更。
カッパドキアに行った後、コンヤという町から黒海に面するトラブゾン(スメラ修道院が目的地)への夜行バスに乗る。
「何時につくの?」と聞くと、指7本出してくれた。
意外に早く着きそうだと思い、うきうき。
動き出したバスの中では鼻歌で「飛んでイスタンブール」、「異邦人」。
しかし到着したのは、朝じゃなく、夜の7時でした。
外は雨。しかも、ホテルは今から探すしかない状態。
十一月の終わり、終点のトラブゾンで降りるのは おいどん一人だけ。
「今日は、おいどん 誕生日じゃけど、死ぬかもしれんな・・。」と心の中でつぶやいた遠い冬の夜がありました。
PS
帰国後、支店長に7日間の休みに勝手にプラスした2日間の無断欠勤を
めちゃくちゃ怒られた
戦う現場監督でした。