かえるところがある  ありがたさ

学校を卒業し就職。

広島支店に配属になり、そう簡単に広島から出ていくことはないだろうと、考えていた。

憧れからか、東京で働きたいという友人はそこそこいたが、おいどんはそう思わなかった。

会社も西日本がメインの会社なので、行くこともないだろうし、行きたくもなかった。

バブルの波が押し寄せ、浮世離れした世の中の浮かれ具合に 何とも言えないうさん臭さを感じていた。

 

だが、一年後。

おいどんは東京の稲城市に住んでいました。

先輩二人とのアパート暮らし。

ただし、現場が別々で、帰宅するのも21時前後のため、交わす言葉もほとんどなく、せいぜい挨拶ぐらい。

 

朝は通勤時間が早いため、それほどでもないのだが、帰りの電車の混雑にうんざり。

人の多さに気分が悪くなる。(田舎から出てきたんだからしょうがない。)

 

これだけ多くの人がいても、知る人などなく。

全ての人にとって、おいどんはただの通りすがりの人。

 

一か月たって、少しはこんな生活にも慣れたような気がした。

 

しかし、休みともなれば、さらに気がめいるのです。

知る人のいないこの街をウロウロ。

本屋などで時間をつぶして、一人で食べる夕食を買いに行き、帰りはブラブラ。

もう春とはいえ、日の暮れることの早さと、その肌寒さを感じながら、ポツポツ歩く。

 

小さな路地で、明かりのついた家から、夕食の語らいが聞こえてくる。

 

「フッ。」とため息をつきトポトポ、 アパートに向かう。

 

なにか心の中に穴が開いたような感じ。

 

アパートに帰って、ふと、自宅に電話。

ゴールデンウイークには帰るよ。とおふくろに・・・

「帰り、楽しみにしとるけーね。」

 

おいどんみたいなやつでも、帰るところがあるというのは、

ありがたいことだなと しみじみ思った。

 

遠い昔の3月のおもいで・・・

 

 

広島駅に着き、新幹線を降りると聞こえてくる、

「○○じゃけーね。」なんて言葉を聞くと、帰ってきたなという実感。

 

在来線に乗り継ぎ、育った町に・・・

 

でも、すぐには帰らないのです、

なじみの お好み焼き屋さんに行き、肉玉うどんダブルのお好み焼き。

オタフクソースをたっぷりかけてほおばる。

 

これが、心の穴とお腹を満たしてくれるのである。 

 

 

by

広島でソースと言えば オタフクソースじゃろ。

と勝手に決めつける  

たたかう現場監督