フィレンツェ
バスはミケランジェロ広場に到着。
そこからはフィレンツェの街並みが一望できます。
建築史で習った、ブルネレスキ設計のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の大円蓋がすぐそこに見えます。
二十数年前の新婚旅行で初めて訪れました。
メディチ家の都、又は、花の神フローラの名のごとく、ルネッサンス文化の中心的として花開いた都というイメージが、心に強く刻まれています。
この街にもう一度行きたくてしょうがない理由は、そこに【ラファエロの小椅子の聖母(ピッティ宮殿パラティーナ美術館)】があるからなのです。
この絵に会いたくて、あってしまうと感激のあまり泣き出してしまいそうな おいどんなのです。
椅子の上、幼きキリストを抱きしめる慈愛に満ちたその手とその瞳。
おいどんの心は、その視線に射抜かれてしまったのである。
新婚旅行の時はウフィツィ美術館にあるものだと勘違いしてて、会う機会を逸してしまいました。
(ボッティチェリのビーナスの誕生、ダビンチの受胎告知などの名画を拝見でき、これはこれで良かったのですが・・・。)
これは、マリア様に「この都にまた来なさい。」と言われているのだろうと、勝手に良いほうに考えています。
アルノ川の流れ、ベッキオ橋に並ぶ店舗のある風景など、今でもその空間にいた記憶は残っているのです。
わずか二日の滞在でしたが、良い時を過ごすことができました。
フィレンツェ共和国内の同時期に、
ロレンツォ・デ・メディチ(1449~1492)メディチ家最盛時の当主
レオナルドダヴィンチ(1452~1519)
ミケランジェロ (1475~1564)
アメリゴ・ベスプッチ(1454~1512)コロンブスが到達した所が新大陸であることを明らかにした。アメリカは彼の名の由来。
ボッティチェリ (1445~1510)
マキャベリ (1469~1527)共和国の外交官。『君主論』等の著書がある。
などが生まれているのです。
これらの綺羅星のような人々が歩いたかもしれない路地を、時は違えど歩いていた自分を思うと、言葉に言い表せない感動がこみ上げてくるのは おいどんだけなのですかね・・・。
PS
フィレンツェ出身ではありませんが、サボナローラ(1452~1498)も同時期に生きていました。不思議な感じがします。
(ドミニコ会の修道士、宗教改革者ともいわれる。メディチ家の追放などを行うが、非妥協的な改革を行おうとしたため、異端者として処刑後、火刑に処された。)
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人生と家のローンの残りを考えると
実現が少し難しいと感じる
たたかう現場監督