僕の気持など知らないで、無邪気に笑っている、君が愛しい・・・(悪性リンパ腫になって・・)

結婚して半年がたった、ある日。

お腹には新しい命が宿り、これからの明るい未来を夢見ていた、妻。

 

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それは突然のこと。

朝起きると、左目の視力がまったく失われていた私。

本当に、真っ暗なのです。

仕事の合間を見つけて、近所の眼科に行きました。

目薬を点眼してみますが、症状 変わらず。

 

次の日。

眼科に行くと、先生が紹介状を書いてくれ、そのまま静岡県立総合病院に・・・

病院の対応は素晴らしく、眼科、耳鼻科、脳外科、内科、CTスキャンなど、待ち時間

などなく、次々に診察。

 

ただ、工事完了のため、その日のうちに提出しなければいけない書類があり、病院を

抜け出して提出。

ついでに、現場に問題がないか確認して、病院に戻りました。

 

病院では、患者がいなくなったと大騒ぎ。

身重の妻も、連絡を受け、病院に来ていました。

 

耳鼻科の先生からお話があるというので、二人で診察室に・・

「ご主人さんは、今日から入院していただきます。」

「一週間後に、検査結果が出ますが、おそらく悪性です。」と告げられる。

(悪性リンパ腫でした。)

 

ふたり 無言のまま病室に行きました。

ベッドに並んで座ったとたん、涙があふれて、ふたりでしばらく泣きましたね。

 

「どんなことになっても、俺は生きるぞ!」という思いと

「まだ、全然死にそうな気がせんけど、俺 死ぬんかな・・」という思いが胸の中。

 

その夜 遺書を書きました。

子供を頼む。できれば俺の両親も なんて、ずいぶん身勝手なことを書いたような・・

(翌日、嫁さんから がんばれの手紙をいただきました。今も手帳に入れて いつも傍に置いています。)

 

病気のほうは、抗がん剤放射線治療を約半年続け退院となりました。

ただ、圧迫された視神経は治らないため、左目はぼんやりとしか見えない状態です。

 

あれから、もう20年余り。

子供たち(息子2人)も成人し、ほぼ親の役目も果たしたような気がする、今日この

頃。

 

退院後も、約5年間は、定期的に審査を続けていました。

検査結果を聞くまでは、多少不安になるのです。

雑談して、コロコロ笑っている嫁さんの顔見ながら、

「子供が成人するまで、俺 いきれるかな?」なんて思いが頭をよぎったことも、多々

ありましたが・・・・

 

人間の欲望に限りはなく、さらにあと10年。いや15年生きれないものかと、少し調子に

乗っている  おいどんがここにいます。

 

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副鼻腔(鼻の奥)の腫瘍が視神経を圧迫



 PS

 退院後。広島に帰って、地元の小さな会社に就職しました。

出社初日の朝、社員の方々へのあいさつの時、

「誰がこんな人採用したの? 絶対殴られる。」と後輩たちが覚悟したという

たたかう現場監督。

 

(スーツ姿のおいどん、抗がん剤のせいで、スキンヘッド。

当然、眉毛もありませんでした。)