幸福感・・・
おいどんが生まれ育ったのは、広島県の端っこの小さな町。(四十年くらい前)
その小さな町の中心部から少し離れたこじんまりとした集落。
小学校低学年まではそこがすべての世界でした。
小さな集落なのですが、小学校、保育園、食料品他販売店(5軒)、魚屋(2軒)、クリーニング屋、床屋、美容院、呉服屋、診療所、交番、電気屋、水道屋、お寺、おまけに醬油屋、酒造所もありました。
その頃は、車を持つ家庭は半分を超える程度だったように記憶しています。
道もすべてが舗装されているわけでもなく、雨の日など水たまりがあちこちに・・・。
この集落の中でほぼすべてが賄われ、何不自由無くというか、特に困ることもなかったような気がします。
いつしか道路はすべて舗装され、車がほぼすべての家庭にいきわたると、人々は町の色々なものを安く売っているお店に行き始め、集落の個人商店は徐々に御店をたたみ始めました。
集落から出ていった人は、ここに帰ってくることもなく、子供の数も少なくなり、小学校は廃校になり、思い出がたくさん詰まった校舎は取り壊されました。
保育園も廃園。数年前に車で通りがかりに園舎とよく遊んだ築山は残っていることは確認できたのですが・・・。
保育園や小学校がなくなると、子供さんを持つ親から見て非常に子育てしずらく、居住地としては選択肢から外され、ますます過疎化が加速します。
さびれてしまったこの集落ですが、川遊び、魚釣り、山に登っての秘密基地づくりなど、遊び惚けていた頃がとても懐かしいのです。
今みたいにあふれかえるほどの物も、携帯電話もなかった時代だけど、人々もおおらかで楽しかったように思います。
《豊かさ》って何なのですかねー。
子供のころ思ってた未来は、戦争、人種差別や公害が亡くなり、飢餓に苦しむ人も無く、すべての子供が教育を受けられ、世界政府ができ平和を維持し、宇宙旅行もできる・・・。
あれから数十年たちますが、豊になったんですかねこの国は?
確かに豊かにはなったんだろうが、あのころ思ってた豊かさとは違う感じがするのです。
by
どこまで豊になれば
人の心は満たされるのかな・・・と
遠くを見つめる目になる
たたかう現場監督