ジパング
【この島を、マルコポーロはジパングリと呼ぶ】(Wikipedia 世界の舞台 印度東洋島図説明)との記述もある、心躍る黄金の国 ジパング。
マルコポーロ(1254~1324)の東方見聞録によって西洋に紹介される形になりました。
黄金の国というのは、奥州藤原氏の中尊寺金色堂(1124年 建立)のことが、貿易を行っていた中国に伝わり、話が膨らんで、金でできた宮殿があることになったのだろうと、中世に思いをはせるのは面白いものです。
一瞬、金閣寺のことが頭をよぎりましたが、創建年は1397年で、マルコの死後の建物でした。
おいどんが気になるのは、ジパングという呼び方です。
日本(二ホン)がどのようになって、ジパングと呼ばれるようになったのかということです。
「日本国」の中国語の発音が語源とされる説があり、おいどんもほぼこの説を支持します。
日本という呼称は、おそらく大化の改新(645)以降には使用されていたと思われるので(倭から日本に変わったのですね。)、中国にやってきていたヴェネツィア共和国の人やその他西洋諸国の人達から、マルコの耳に入った話なのでしょう。
「日本」のことを、「ジッツポン」(音読みです)と説明した中国人の音が、人づてに伝わっていくうちに、語尾が「ング」に変わって、いつしか 「ジパング」へ・・・。
こんな勝手な妄想にひたるのも悪くない、グダグダな木曜日の夜なのです。
by
またいつか
マルコの住んだヴェネツィアへ
思いをはせる
たたかう現場監督