資本主義の暴走を止める方法・・・考

GNPが世界一なんて言っても、ものを大量に作り、消費し、挙句の果てには大量なごみを排出。

このような環境の破壊をもたらすようでは、発展とは何ぞやと考え込んでしまいそうになる。

かつて栄えた文明が、その文明を維持するために、豊かな天然資源を浪費し、枯渇させては滅んでいった。

破壊された環境は元に戻ることはなく、その地で同じように豊かな文明が栄えることはできない。

この教訓を忘れてはならないと、おいどんしみじみ思うのです。

わが世の春を謳歌するため、この地球の環境を破壊している人類は、地球以外に住むところがないことを、認識できているのだろうか?

SDGsなんてかっこいいこと言っているけど、経済発展をつづけながらっていうのは無理なんじゃないのかな?

この閉じた地球という世界で、永遠に成長なんてできないでしょう。

資本主義の暴走を食い止めることが、最優先だと妄想するおいどん。

資本主義を完全否定することなどできないでしょうから、ブレーキをかける必要があります。

持てる資産の合計に上限をつけるか、莫大な資産を維持することが馬鹿らしくなるほどの税金を課す。(昔の日本のように、お金持ちも三代目には平民になるくらいの税率)

こうすれば、資産家様たちのお金儲けへの情熱を、いくらかでも冷ますことができる気がするのだ。

おいどんの頭ではこの程度しか浮かびませんな・・・。

実現は限りなく不可能かな・・・。

もう神頼みしかないのかな。

 

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お金持ちになったら

『あんな夢こんな夢いっぱいあるけど』と

妄想を膨らます

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸福感のパラダイムシフトは必要か?

お金があれば幸せ?

確かにお金がなければ生活できないし、ブランド物を買って貧乏人にひけらかすこともできない。

欲望を刺激され、頭の良い人の作り出した価値観に振り回される。

価値あるものと苦労して手に入れたものは、しばらくすると新たな価値に隅っこに追いやられる。

この堂々巡りは果てしなく続く・・・。

 農耕を行うようになり定住し始めたころ、狩猟生活に比べ食料も備蓄できるようになり、いくらかは安定した生活ができるようになりました。

昔はこれだけでも十分に幸福だったのでしょうが・・。

商業的活動が始まり、一昔前までの価値観では、お金儲けは卑しいことと思われていました。

個人的な意見で言えば、お金儲けが卑しいのじゃなくて、すべてをお金に換算して考えるその思考だと思うのですが・・・。

感覚的なものじゃなくて、具体的に数値で表すことができるのが、お金の強みで厄介なところです。

幸福感は主観的なものであるため、数値で表すことが難しいのです。

『お金を持っている人が偉い』という風潮が最近顕著になったのもそのせいなのかな?

現代の終末的資本主義の価値観は、しばらくは変わりそうにありません。

いつか、『その人が何をやったかで賞賛や尊敬される幸福感』が、持っているお金の価値による幸福感を超える日を夢みている おいどんです。

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いくつになっても

デイドリーマーな

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

金子みすゞ記念館にて

このゴールデンウイークに、義母から山口県の下関の民宿へのお誘いがありました。

我が家には愛犬のパピちゃん、ポーちゃんがいるため、おいどんは家に残り、嫁さんと次男坊が楽しんでくればよいかな・・と思っていたのです。

ところが、次男坊が当日友人との約束が入ったため、急遽おいどんが旅行に参加し、次男坊が居残りとなりました。

家にいて家庭菜園などでまったりしようかと思っていたので、それほど乗り気ではなかったおいどんでした。

「せっかく出かけるんだから、どこか行きたいところある?」という嫁さんに

「みんな違って、みんないい・・って知ってる?」とおいどん。

「それって、相田みつを じゃろ。」と自信満々な嫁さん。

金子みすゞだよん。」とおいどん。

「本当に?」少し疑っています。

 

「ということで、長門金子みすゞ記念館となんちゃら神社で鳥居がめっちゃ並んでいるところに行きたいな・・・。」(元乃隅稲成神社です。)

「じゃ、そこ行ってみようか。」と急に乗り気になる嫁さんでした。

 

当日は高速に乗り約二時間かけて、長門市仙崎の道の駅センザキッチンに到着。

徒歩でみすゞ記念館に向かいます。

ゴールデンウイークなのに、それほど人通りがないみすず通り。

ひっそりとたたずむ、金子みすゞ記念館。

「今日は先着順にしおりを配っているんですよ。」と受付のおばちゃん。

少し得した気分のおいどんです。

仙崎で唯一の本屋を営んだ建物の二階にみすずの部屋はありました。

四畳半の小さな部屋に、机と座布団とランプ・・・。

「ああ、ここにみすずは居たんだな・・・。」何とも言えない感覚です。

なんとはかなく、可憐で感性豊かな女性だったのだろう・・・。

しばし、みすずのぬくもりを感じることができないものかと、そっと畳に手を置いてみるおいどん・・・。

「よし、下に降りようか。」の嫁さんの声にハッと我に返る。

記念館の中、一階では燕が子育て中。

みすずもこんな燕の姿を見ていたのかな・・などたわいもないことが頭をよぎる。

わずかな時間ではあったけど、ここを訪れることができただけでも、旅行にきたかいがあったもんだと大満足のおいどんでした。

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元乃隅稲成神社も訪れて

大変満足した

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

ある程度の適当さは必要・・・。

昔、建築の現場監督として働き始めたころ、聞いたことがあるお話です。

ある工事現場の所長さんは、お施主さんや設計の要望への対応、下請け業者との追加工事の金額交渉、利益が出てないなどの社内でのつるし上げなどによって、ノイローゼになりました。

いつも緊張してピリピリした状態で仕事をしていたのですが、現場での事故や重大な施工ミスなどが発生し、精神がやられてしまいました。

日本人はとてもまじめで、失敗など都合の悪いことは内々で処理し、表ざたにしないようにと考えがちなので、非常に悩み苦しみます。

その現場所長は、ある日 現場から突然いなくなり、発見されたときはこの世の人ではなかったというお話です。

最近このようなお話は聞くことが無くなったので、勝手に安心しています。

まずは、悪いことが起こったら、隠そうとか一人で何とかしようと思わずに、社内で情報を共有することです。(それが許される会社であってほしいと願います。)

良いことよりも、悪い情報ほど早く対応する必要があります。

初動を誤らないためにも、社内で意思決定を行い、素早く適切に対応することが肝心です。

全部一人で抱え込まないこと。

情報共有により個人の精神的負担を軽減し、冷静な対応が可能となるはずです。

多少上司には怒られ、社内の評価も下がるでしょうが、命まではとられません。

まともにすべてを受け止めずに、北斗の拳のトキのように力を受け流すことも必要です。

ただ、おいどんのように受け流し過ぎると、単なる適当なおっさんになってしまいますが・・・。

ただ、心が座屈してしまわないように・・・。

 

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体は固いが、

心はグニャグニャな

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尊敬する人

高杉晋作上杉謙信の二人が、おいどんの尊敬する人です。

だが最近になって、ふと思うことがあるのだ・・・。

歴史に残るようなことは何もしていないけれど、おいどんの成長を見守り続け、成人した後も何かと気遣いをしてくれていた、親父とおふくろを忘れていたんじゃないかということを・・・。

昨年、子供二人が就職し、この三月末で一年たちました。

「何とか一年頑張ったね。」と思いつつ、最近は一人会社に残って仕事をし、帰りが徐々に遅くなってきた次男坊。

もともと口数は多くないのですが、少し表情が暗い感じがします。

「大丈夫かな?」なんて心配してしまうのですが、こんな感じで親父とおふくろもおいどんのことを心配していたんだろうな・・なんて感じるわけです。

そんな心配を迷惑そうにしていたおいどんでしたが・・・。

家族が今まで通り、何気ない普通の生活ができるように、何十年も歯を食いしばって頑張ってきてくれたんですね。

この普通は、両親の努力のたまもので、普通じゃないんだということに遅まきながら感謝している おいどんなのです。

「尊敬する人は?」と就職の面接で聞かれ、

「父です。」と答えてくれた次男坊。(おいどん、嫁さんにこの話を聞かされビックリ。だが、あまり深く考えて答えたのじゃなさそうだ・・・。)

「父親って答える人は珍しいね。」なんて試験官に言われたらしい。

おいどんも、今 尊敬する人と聞かれたら、

「両親です。」ときっと答えるでしょう・・・。

 

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この年になってようやく

普通のありがたさを知る

たたかう現場監督

 

 

 

 

淮南子を読んで・・・。

以前読もうとしてみたものの、読みかけて本棚に眠っていた本です。

読み始めていくうちに、この文章の中に編纂者 劉安の、得体のしれない気概を感じ始めていました。

皇帝のあるべき姿、思想など、指南書のごとき体をなしています。

心に残ったのは「虚心恬淡」の言葉(現代語訳の中に出てきます。老荘思想の言葉ですね。)

心をむなしくして、何のわだかまりもなく、物事に臨む。こんな意味でしょうか・・・。

もう少しで、この境地に達することができそうな気がしているおいどんです。

(単なる勘違いでしょうが・・・。)

また道について述べられていることも心に残りました。

「至上の道は、万物を生み出すけれど自己の所有とせず、万物を作り出すけれど、それらを支配しない。」

「道はどんなに蓄えても、別に富むことはなく、どんなに施しをしても、別に貧しくなるわけではない・・・。」(現代語訳 抜粋)

施しをすればいつか自分に帰ってくるだろうなんて、思いあがっていた おいどんには突き刺さる言葉です。

淮南子 編纂者の劉安ですが、漢の武帝と同時代の人です。

武帝による中央集権化の中、諸王侯の勢力が削られていきました。

いつかその粛清の波が、我が身にも押し寄せること言を予見していたのか、逼迫したような思いが、この本の中に詰まっている気がしてならないのです。

結局劉安は謀反の罪を着せられて、自害することになります。

淮南子はこれに関連する編纂された書物がほかにもありましたが、他のものはすべて散逸しています。

ただ、劉安の思想は二千年の時を超え、彼の考える道のように「無いように見えながら有り、亡くなったように見えながら存在している」のです。

 

「 」内 訳注「淮南子」 池田和久 講談社学術文庫より

 

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このような本を読むことは

しみじみ必要だと思う

たたかう現場監督

手料理 家庭の味

おいどんの稼ぎが少ないため、嫁さんにも働いてもらって、何とか今の生活が維持できています。

疲れて帰ってきた嫁さんに、手間のかかるような料理を作ってくれなんて言えるはずもなく。

嫁さんもサラサラその気はない。

ただ思うに、何か一つだけでもそれぞれの家庭で、我が家の味と言えばこの手料理だねっていうものがあれば、喜ばしいと おいどんは思うのです。

たとえば、都会で働く子供さんが、ふと懐かしくなる料理があることは素晴らしいこと。

高価な食材は使ってないが、お母さんの愛情こもったコロッケやハンバーグなど・・・。

家に帰りたくなるような懐かしい料理。

 

昔 誰かに、奥さんの作る手料理は何が好き? と聞かれ。

「刺身こんにゃく。」と答える おいどん。

「奥さん、こんにゃく作れるの?」とびっくりされ。

「いやー、スーパーで買ってきたのをカットするだけです。」

「それって家庭料理なの?」

「わたくし、嘘をついておりました・・・。」なんて馬鹿話をしたことを思い出してしまった・・・。

 

「亡くなる前の最後の食事は何食べたい?」と聞かれると

「親子丼と茶碗蒸し。」とおいどんは答えます。

キャビアやフォアグラなどが食べたいなんて全く思いません。

これで十分と思える家庭料理があることは、幸せなことだと思うのです。

(おいどんの勝手な妄想ですが・・・。)

 

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あくまでも庶民的な

たたかう現場監督