勉強をちゃんとやらないと・・・

会社の同僚 カワモンがぽつり。

カワモンが会社に入って二年目の夏、先輩たちと苦労して完成させた建物の点検で、屋上にタラップを使って上がろうとしていた時。

建物の利用者の親子(母親と4歳くらいの男の子)が通りかかったので挨拶。

「おはようございます。」

「おはようございます。」とお母さん。子供を連れて階段で下の階に降りていく。

「よし。」カワモンひとり言。

鍵をはずし、屋上点検口のハッチを開けようとしたとき、

「○○ちゃん。ちゃんと勉強しないと、あのお兄ちゃんのようになるよ!」と母親が子供に言い聞かせるような声が下から聞こえた。

思わず手が止まるカワモン。

「そりゃ、あんまり勉強はしてなくぃけどね。」とぼやき。

「こんな俺でもとりあえず大学出て、資格も持ってるのにね。」とさみしそうにつぶやく。

 

勉強しなかった人たちがつく仕事なの?  土木や建築の仕事って・・・

イメージが悪いんだろうね。

自称 建設作業員なんてのがよく悪いことやってるんで・・・

「やっぱり、イメージアップだ! カリスマ現場監督なんてのはどうかな?」と おいどん。

しばらく考えて、カワモン

「カリスマねー。想像できんわ!」

* カリスマ美容師などがもてはやされた昔の話です。

 

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建設業があこがれの職業になる道のりは

まだまだ遠いと嘆く

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

サブリミナル効果?

昔のお話です。

この年になってもまだ、建築にかかわる記憶(小学校低学年のころ)があるのですが・・(何度もその記憶を反芻しているからか?)

・友人のお父さんが建築の仕事をされていて、地下室付きの家を見せられた時に、その仕事をうらやましく思ったこと。

・「新婚さんいらっしゃい」というTV番組で、23歳くらいのご主人さんが「職業は現場監督です。」と言ったとき、「すげー、こんなに若いのに監督なんじゃ!」と思ったこと。

・借家住まいだった時、親戚のおばさんが運転する車の中から、大きな庭のある家を見て、「あんな家を建てて住みたい。」といったこと。

・何かの雑誌で、建築家フランクロイド・ライトの落水荘(カウフマン邸)の写真を見て、その美しさに衝撃を受けたこと。

このようなことをしつこく覚えているのです。

 

大学の学科を選ぶとき頭に浮かんだのは建築学科。

一瞬、女子高校の物理の教員になるため物理学科も考えましたが、結局、卒業してからどんな仕事に就きたいなんて、深く考えもせず建築学科に決定。

物理学科に行って、教職になんぞついていたら、今頃つまらない事件を起こして、きっとお縄になっていたことでしょう。

 

今になって考えると、上記のようなことがサブリミナル効果的に意思決定に作用したのかななんて考えてしまいます。

「現場監督なんてそんな偉いもんじゃないよ。」「よく考えたほうがいいよ。」なんて言ってくれる大人なんていなかったのです。

そんなこんなで、なっちまったよ現場監督に!

泣きそうになったことは多々あれど、それも過ぎれば笑いのネタ。

大きくはないが庭のある家を自分で設計して、自分で管理して建てられることができたのは現場監督になったから。

借金地獄ですが・・・建設業に携わることができて感謝。

 

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子供の頃の夢「庭のある家」が現実になったので、

ナポレオンヒルの「思考は現実化する」に対抗して

「妄想は現実化する」という本を出版したいと妄想する

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

教養人とは・・・

あくまで、私見として。

インターネットの普及により、それ以前にはなかったような膨大な情報にさらされている現代人。

猶更、教養というものが必要になってきたのではないかと感じる。

ほとんどのことを、インターネットで検索できる時代、単に知識の多さを誇ることは教養とは呼べなくなってきた。

物事を一つの方向からだけ見るのではなく、いろいろな角度から物事を見れる客観性を持ち、大局的に俯瞰して考えることができると、そこに見えていないものが見えてくるようになる。

自分とは違う意見があっても、すぐに拒絶するのではなく、いったん飲み込み、理解する度量と、相手への配慮ができるバランス感覚は必要です。

このようであれば、物事の判断はよりベターになっていくに違いない。

何事にでも興味を持ち、知識欲が旺盛で、知ることを楽しむことができる。

これは教養人への上昇スパイラルですな。

本やインターネットからの知識だけでなく、いろいろな人とかかわりを持ち、成功や失敗など自身の経験を積み重ねることも必要です。

日々是前進。進化していけると思います。

おいどんもいい年して、もう伸びしろは少ないのだろうが、少しでも変わっていきたいと思っている今日この頃です。

 

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こんなこと書いていると

忙しくなってやめてしまった、茶道をまた始めたくなる、

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

憧れの冒険家

昔 冒険家にあこがれた おいどんがいました。

冒険家・・・なんとロマンあふれる呼び名なのでしょうか。

エベレストに登頂したぐらいじゃ、もうだれも驚かない。

冒険家で食っていくためには、人にはできないと思われることをやり、ビックリさせるエンターテイメント性が求められ、さらに感動を呼ぶドラマがそこになければならない。

この傾向は自ずと死と隣り合わせの冒険となり、難易度は徐々に増していくが、生存確率は下がっていく。

さらにさらにと、強迫観念にも似たエスカレーションは、冒険家を死に追いやる。

そんなこと考えると、おいどんは冒険家にはなれないですね。

はやりのユーチューバーにも同じくなれないでしょう。(急に話がそれちゃったど。)

人に見てもらうため常に注目を集めることを(それだけではないのでしょうが・・・)やり続けるということは、 おいどんにはやはり無理ですね。

冒険家と同じで、すごいプレッシャーかかりそうで・・・。

人を楽しませて笑ってもらい注目されるはずが、つまらぬことをしでかして、人に笑われ後ろ指差されるのが落ちでしょう。

そういえば、前に《ユーチューバーで食っていく》なんて本買いましたけど、読まずに本棚の飾りになっていますね。

文書書いていると、ふと、川口  浩  探検隊のことが頭をよぎり、19歳の時に何を血迷ったか、探検隊員募集に応募したおいどんを思いだしました。

隊員にはなれなかったけど、やっぱり冒険家と言えば川口 浩  隊長ですね!

(若い人は知らないでしょうが、偉大な人です。)

 

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川口 浩 探検隊に応募した年に

バイクの免許がないくせに、仮面ライダーの主役に応募し、

主役が無理なら、ショッカーの構成員でも頑張りますと書いた。

(当然落選です。)

たたかう現場監督

(チャレンジすることは大切なことだど。ちょっと無謀だけど。)

 

 

 

自然の一部から問題児に・・・

小学生のころ習った世界の人口は36億人だったような気がする。

それから約50年、人口は2倍以上の76億人になってしまった。

何かの本で、この地球で今のアメリカの人達なみの生活を送れる人口の限度は、16億人程度?とのことらしい。(記憶があいまいですが・・・)

人口が少ない頃は問題にならなかったようなこと・・・かつて人間も自然の一部として存在していたのにね。

食料、環境(温暖化、砂漠化、公害など)、水資源、エネルギーなどなど問題はたくさん出てきました。

 

母なる地球で生まれ、繁栄を享受するための身勝手な振る舞いが、その地球の寛容さを超えたとき、人類は奈落の底に落ちるのでしょうか?

どう考えても今のままで良いはずがない。

まるで他人事?・・自分たちはまだ大丈夫だろう。今の楽園のような生活を捨てて誰が昔のような生活になんてもどれるものか。

人生は短い。もっと楽しまなきゃなんて感じなのだろう・・・。

エデンの園を追放されたアダムとイブの子孫は、今度は地上からも追放されるのか?

ブレーキの付いていない列車に乗っている人類。(経済活動ファーストですからねぇ。)

これって繫栄してるっているって言うのかな?

未来へ続く繁栄より、目先の繁栄を優先。

もしこの現況を宇宙人が見たら、クレイジーだと思うかな?

自らを滅ぼす行為の真っ最中。

「変わった生物がいる星だなー。」なんてね。

 

問題の解決方法考えても、人類の思いが同じ方向を向いてないと無理かな・・ 

76億人もいるんだから、中にはとんでもなく優れたカリスマ性を持った人物がいるはず!

だがまだ救世主は現れない・・・。(これまた他人事? とうとう救世主頼み・・・)

 

 

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中学生のころ友人が話してた

世界政府の誕生は見れない可能性が高い

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の気持など知らないで、無邪気に笑っている、君が愛しい・・・(悪性リンパ腫になって・・)

結婚して半年がたった、ある日。

お腹には新しい命が宿り、これからの明るい未来を夢見ていた、妻。

 

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それは突然のこと。

朝起きると、左目の視力がまったく失われていた私。

本当に、真っ暗なのです。

仕事の合間を見つけて、近所の眼科に行きました。

目薬を点眼してみますが、症状 変わらず。

 

次の日。

眼科に行くと、先生が紹介状を書いてくれ、そのまま静岡県立総合病院に・・・

病院の対応は素晴らしく、眼科、耳鼻科、脳外科、内科、CTスキャンなど、待ち時間

などなく、次々に診察。

 

ただ、工事完了のため、その日のうちに提出しなければいけない書類があり、病院を

抜け出して提出。

ついでに、現場に問題がないか確認して、病院に戻りました。

 

病院では、患者がいなくなったと大騒ぎ。

身重の妻も、連絡を受け、病院に来ていました。

 

耳鼻科の先生からお話があるというので、二人で診察室に・・

「ご主人さんは、今日から入院していただきます。」

「一週間後に、検査結果が出ますが、おそらく悪性です。」と告げられる。

(悪性リンパ腫でした。)

 

ふたり 無言のまま病室に行きました。

ベッドに並んで座ったとたん、涙があふれて、ふたりでしばらく泣きましたね。

 

「どんなことになっても、俺は生きるぞ!」という思いと

「まだ、全然死にそうな気がせんけど、俺 死ぬんかな・・」という思いが胸の中。

 

その夜 遺書を書きました。

子供を頼む。できれば俺の両親も なんて、ずいぶん身勝手なことを書いたような・・

(翌日、嫁さんから がんばれの手紙をいただきました。今も手帳に入れて いつも傍に置いています。)

 

病気のほうは、抗がん剤放射線治療を約半年続け退院となりました。

ただ、圧迫された視神経は治らないため、左目はぼんやりとしか見えない状態です。

 

あれから、もう20年余り。

子供たち(息子2人)も成人し、ほぼ親の役目も果たしたような気がする、今日この

頃。

 

退院後も、約5年間は、定期的に審査を続けていました。

検査結果を聞くまでは、多少不安になるのです。

雑談して、コロコロ笑っている嫁さんの顔見ながら、

「子供が成人するまで、俺 いきれるかな?」なんて思いが頭をよぎったことも、多々

ありましたが・・・・

 

人間の欲望に限りはなく、さらにあと10年。いや15年生きれないものかと、少し調子に

乗っている  おいどんがここにいます。

 

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副鼻腔(鼻の奥)の腫瘍が視神経を圧迫



 PS

 退院後。広島に帰って、地元の小さな会社に就職しました。

出社初日の朝、社員の方々へのあいさつの時、

「誰がこんな人採用したの? 絶対殴られる。」と後輩たちが覚悟したという

たたかう現場監督。

 

(スーツ姿のおいどん、抗がん剤のせいで、スキンヘッド。

当然、眉毛もありませんでした。)

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクサーか?

結婚したばかりのころ、嫁さんから

「友達の結婚式に行くので、服を買いに行きたい。」と言われ、休みにデパートへ出かけた。

色々迷って嫁さんが選んだ服は、襟の部分にレースの花模様があるかわいい服。

(そこそこ良いお値段でした。)

その服に合わせて、バッグも一緒に購入。

ぽっちゃりした体形で、もともと太りやすい体質。それに加えて甘いものが大好きなため、当然ウエストがすぐに合わなくなってしまうのが玉に瑕。

(新婚旅行の7日間で3kgも体重が増え、旅行最後の頃の写真は顔がはち切れそうなくらいパンパンだったのだ。)

ただこの人のすごいところは、子供の入学式などの予定が決まると、

「そろそろ、始めますか・・・」とつぶやいて、約一か月前から食事制限と、多少の運動を始めます。

2・3日前まで  はけなかったスカートが、なぜかその日だけはピンポイントではけちゃうという奇跡が起きるのです。

決め台詞は「来たー、すごいじゃろ!」どや顔である。

おいどん ぼそりと「ボクサーか?」

「なんか言った?」地獄耳でもある。

このピンポイントで体を仕上げてくる能力って何なのかなー。素晴らしい能力です。

この能力のおかげで20数年、新しい服も買わずに、この服を着てくれている嫁さんに感謝ですね。

 

PS

この服を買って、嫁さんの友人の結婚式までの間に子供を授かり、おなか廻りが大きくなって、この服を着ていくことができませんでした。

かわりに少しゆったりとした服を買い、嫁さんは結婚式に出席しましたとさ。

(この頃は、少しは懐に余裕があったような気がすると、遠くを見つめる目になるおいどんです。)

 

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会社の健康診断の日が迫り

泣く泣く間食を控える

たたかう現場監督