老化とのバトル

以前にも書いたのだが、つむじのあたりの髪の毛が薄くなって、さみしい限りなのです。

三か月で見違えるようになったっていう育毛剤の宣伝などネットで見ていると、ちらほら気になって見入ってしまいます。

悩ましいことに高給取りではなく、生活費からの援助も望めないため、費用はおいどんの小遣いからの出費となります。(泣き)

そもそも育毛剤を買っても、育てる髪の毛がないのなら、育てようがないのでは?

育毛剤よりまずは髪の毛をはやすことが先決ではないのか?

ということは、やっぱり発毛剤か?

これって男性ホルモンのせいなのか?おいどんより男性ホルモン沢山持っていそうな人でも、まだしっかり髪の毛ある人いるけどそれはなぜ?などと考え始めると頭の中はぐるぐる。

他にも、顔や手の甲などの紫外線をよく受ける部分にシミが多々発生。

お金に余裕があれば、お肌のほうのお手入れもしたいのだが・・・

ほうれい線や目の下のダルダルなど老化は止まらない。

 

とにかくネックとなるのは、おいどんの小遣いから一か月いくら出費できるのかということ。

高価なものは無理なのです。

なかなか難しい問題ですな。

 

筋力・気力の衰え、記憶力の低下、目は白内障でいずれ近いうちに手術の必要があり、歯はちょっとガタが来ている様子。

年を重ねるたびに戦う相手が増えてる気がしますね、老化ってやつは。

 

芸能人の人たちなんて本当に大変だと思います。

常に人の視線にさらされ、常にかっこよく、美しくあるなんて・・・。

つくづく一般人でよかったなって思います。

おいどんの髪の毛がなくなろうが、顔がシミだらけになろうが、本人が思うほど他人はおいどんのことなんか気にしちゃいないので・・・。

 

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元気があれば何でもできる。

ミノキ(シジル) ボンバイエ!

(何のことかわからなかったら、すみません。プロセス好きなもんで。)

 

頭皮にスプレーし始めた(先ずは、髪の毛からスタートです。)

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出世

高校生の時、ゴルフ場のキャディのバイトをしていました。

素人のおいどんが見ても、それほどではないと思えるショットを、取り巻きの人たちが声をそろえて、

「ナイスショット!」

 

もうびっくりしましたね。あの時は・・・。

「ご機嫌取りと忖度と空気を読むことが出来なきゃ、出世なんてできないよ。」とバイト先の人が言ってた言葉が脳裏をよぎる。

【こんな大人にだけはなるまい。】と心に誓ったある夏の日。

 

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今の時代、まだ年功序列はあるだろうが、終身雇用の保証がない時代。

役職や昇給というニンジンをぶら下げられて、突っ走ってたら、急に肩たたきや、会社が無くなっちゃうなんてこともある。

ほぼその会社でしか使えないスキルを磨き上げてきただけだと、大変なことになってしまう。

まさに、「振出しに戻る。」、人生ゲームですな。(笑えませんけど。)

 

そこそこ満たされた生活を送っている今の若い人たちが、自分の生活(時間)を犠牲にしてまで出世をそれほど望むわけがない。

出世したとしても、しょせん使用人の中の一人だ。

運よく退職まで勤め上げることができれば、ラッキー。

退職金も満額です。

 

国を挙げて、使用人をさらに都合の良い使用人にすべく働きかけているようで、なんだか怖いものがあります。

搾取され都合よくつかわれ、抜け出すことのできない大きな渦に飲み込まれているようだ。

どこかで組織(会社など)の船を降りたとき、出世してつかんだ肩書などは取り上げられることを、頭の片隅の置いておきましょう。

社内政治力の強い人は、いつまでもその地位にしがみついていられるのですが、そんな人はまれにしか現れません。

 

出世という幻想は幻想でしかないのかも・・・

 

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高校生の時に出世など幻想と悟ったおかげで

当然、今も出世と縁がない

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しまじろう  forever

次男坊が3歳になった時、ベネッセの こどもちゃれんじ を頼み始めました。

もう二十年前のお話です。

こどもちゃれんじの本と一緒に届いたのが、しまじろうというトラの子供のパペットでした。

次男坊はすぐに しまじろうが大好きになり、次男坊の右肩にはいつも しまじろうが乗っかっており、しっぽは次男坊がくわえていたことが思い出されます。

お家にいるときも、お出かけする時もいつも一緒。

一緒にいると心が安らぐのでしょうか?

しっぽを口の中に入れちゃうため、ベチョベチョになり不衛生なので、しょっちゅう洗濯していると、体のしま模様が薄くなってきました。

次男坊の しまじろう好きの話を聞いた人が、数体のしまじろうを届けてくれましたが、ほとんど一緒にいるのは、いつも同じ しまじろうです。

小学校4年生の時に室内犬を飼い始め(パピヨンのパピちゃん)、パピちゃん何を思ったか、しまじろうの目を(当時の しまじろうの目はプラスチック製でした。)かじってしまい、片目が無くなってしまいました。

悲しそうな顔をしている次男坊を横目に、嫁さんに相談。

無くなった目の部分に黒い眼帯を取り付けてもらいました。

海賊しまじろうの誕生です。

次男坊に笑顔が戻ってきました。(よかったよかった)

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大学生だった時も、机の上にはチョコンとしまじろうの姿。

体も長い年月のため、補修されています。

この四月から働き始めた次男坊を、見守っていてほしいものです。

 

「ボロボロになってもしまじろうは、もう普通に捨てるなんてできんよね?」

「供養してあげんと罰が当たりそうじゃね。」と話す嫁さんに

「わしもそう思う。」と答えるおいどんです。

 

しまじろう forever.

 

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多少ガタがきているが

二十年も見守り続けてくれている

しまじろうに感謝する

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バトル 2  昔話 

またまた、マサミンとダテポンのレベルの低いバトルが始まった。

*( )内はおいどんの心の叫びです。

 

お互いが問題を出し、それに答えていく形式の戦いらしい。

「じゃあ行くぞ!」

「カメは何類でしょうか?」

(いきなり、そんな質問来るか?)

どーじゃ、わからんじゃろーくらいの勢いのマサミン。

(そんなに威張って自慢できるような質問じゃないと思うのだが・・・)

「そんな問題簡単でしょ。簡単、簡単。」とダテポン。

 

「両生類でしょ!」と自信たっぷり。

(カエル君じゃないんだど!  ふつう間違わんじゃろ!)

 

 

マサミン20歳、ダテポン18歳。

 

こんな奴らと今から現場を一緒にやっていけるかふと不安になり、彼らを一人前の現場監督にしてやらねばと思った、ある春の日の夕方でした・・・。

 

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この話から時は流れてはや二十年

二人とも立派な現場監督に成長し

遠くを見つめる目になる

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

上杉謙信

戦国武将の中でおいどんが一番好きな武将です。

まずは義の武将だったこと、そして、戦いにはめっぽう強かったこと。

敵に塩を送ったかの真偽はわかりませんが、そのような言葉が残されるということは、謙信公ならばそのような行動をとっても、不思議ではないと思わせるような人物だったのでしょう。

武田信玄も、自分が亡くなった後は、義人である謙信を頼れと、息子の勝頼に言ったというお話も同様ですね。

普通 敵の大将にそんなこと思いませんよ。

応援要請があれば放ってはおけず、すぐに駆け付けちゃうようなイメージががあります。

 

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亡くなられるまでに70数回の戦いをしたそうなのですが、完全な負けは2回程度いうことです。

まさに、自ら化身だといった軍神 毘沙門天のような強さです。

戦いは戦略的な戦いというよりも、戦術的な戦い方がほとんどだったと感じるのですが、領土を広げようなどという意思は希薄に思えるため、このように感じるのでしょうか。

戦い方に私心がないように思え、この戦国時代の武将の中で、非常に稀有で不思議な存在であるところが魅力ですね。(美化された小説を読みすぎたせいもあるかも・・・)

 

戦いに明け暮れた謙信公ですが、その軍資金は、青苧(あおそ)という植物から、越後上布という織物の生産を行い、海運船からの税金の取り立て、そして、金銀山(佐渡の金山は当時は採掘されていなかったらしい。)の採掘です。

(新潟というとお米なのかと考えてしまいますが、気候が寒冷なことや、沼地などの多い土地のため生産量は少なかった。)

 

おいどん 新潟に数年いたのだけれど、工事現場で雨の日も雪の日も、天候の悪さなど関係なく作業をしてくれている協力業者の人たちを見て、【こんな人たちが黙々と謙信公と攻めてきたら、これはかなわないぞ!】と感じたことを思いだしました。

 

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新潟大好き人間のおいどん。

もう一度行きたいと願う

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝手に 電気自動車 考(妄想?)

電気自動車は、とても環境にやさしいイメージがある。

ただ、それに使用される増えた電気を、どう作っていくのかという課題が、未解決なまま電動化に突っ走っていくというのはいかがなものか?

(感覚的には発電してから供給までのエネルギーロスを考えると、ハイブリッドのほうがエコのような気がするのだが・・・。)

巧遅より拙速を尊ぶ。

行動(電気自動車化)しながらそれを考える方法をとっているらしい。(賢い人たちが考えるんだから正しいのだろう。)

電動化による供給電力の増加のため、風力・太陽光発電を増やしていくのは良いが、火力・原子力発電を増やすとなると、環境問題解決のための電動化ではなくなる。

(本末転倒ですな。)

当然、NGですね。

 

発電量の増加及び環境対策は、きっと偉い人々は考えているにちがいないのだろうが・・・。

発電量がそれほど増やせないのなら、使用電力が少なくてよいモーターを作ることができればよいのだが、そんな知識はおいどんには有りません。

C国が国を挙げて作ってくれることを願う。

(ほかの国の世界的企業でも、C国の集中的な開発力にはかなわないでしょう。)

 

発電のことですが、おいどん的には、地球をぐるりと一周、太陽光パネルを設置して発電することを提案する。

ただの妄想ですが、そうすることによって、夜のため発電できなくて困っちゃうことがなくなる。

ただ、世界中の人々が電気自動車に乗るようになった時、その電力を太陽光で賄おうとすると、地球全体をパネルで覆うようになるのではと考えると、眠れなくなっちゃうのだ。(妄想が大暴走)

 

電気自動車の覇権争いで他国に対抗するには、電気自動車のコアとなるバッテリーの規格統一かな?

ガソリンステーションのように、充電ステーションを設け、充電のコンセントを車に接続して30分待つなんて、かったるいことなんかできないので、バッテリーステーションを設置して、同一規格のバッテリーを交換できるようにすればいい。

充電している時間の無駄をなくすのだ。

このバッテリーの規格争いで、日本企業が勝つことを望みます。

  

覇権争いで思い出すのは、ビデオデッキのベータマックスとVHSの規格争いですね。

高画質・高機能だといわれたベータマックスの敗北の二の舞にならぬよう、日本企業は頑張ってほしいものです。

いち早く規格を普及させたほうが優位になります。

かじ取りを間違えると、唯一世界に誇れる我が国のT社すら危うく思えてしまう。

おいどんの杞憂であってほしいものですね・・・なんて、勘違いおじさんの妄想でした。

 

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いつかハーレーダビッドソンのエンジンも

Vツインエンジンからモーターになっちゃうのだろうか?

ロマンが無くなっていくさみしさを感じる。

たたかう現場監督

 

 

 

 

 

 

 

教育 おいどんの持論(妄想?)

戦後、欧米諸国の真似をすることで、近代化を成し遂げました。

上司の言うことを文句も言わず、勤勉にそつなくこなす人材を育成するための教育が、現在も続いています。

(諸外国の権利を勝ち取るための抗議活動やデモを見て、わが国でのその活動の少なさにびっくりします。教育が良く行き届いていることに感心します。)

いつしか、後進国と言ってた国々が日本を抜き、変わって、日本が後進国の仲間入り?

給料も物価も安い国に再びなり、再度先進国の真似でもしていくようになるのでしょうか?

歴史は繰り返されるものなのでしょうが、何とかアゲアゲな国 日本とならないものなのか・・・。

 

 

やはり世界の国々の人と対等に戦える人材が必要なのです。

そのような人材を育てていく教育も必要だと思う、今日この頃。

 

政治家をみても、日本の政治村の中ではドンと言われても、海外では誰もドンに忖度などしてくれないので、全く通用しないなんて情けないことになる。

昔の政治家と比べてスケールが小さいのか、小さくまとまってるのか?

 

自分の頭で考え、自分の意見を伝えることができる教育が必要です。

 

チャレンジした人の失敗を笑うことなく、よくチャレンジしたねと褒め、それを恥だといわせない。

みなと同じでなければダメな村社会ではなく、違うこともまた良しとする懐の深い教育をし、そのような土壌を作らなければならない。

 

現在の硬直化した教育は、小手先の改革をするだけでは、問題を解決することができない。

他国に学び真の教育改革を行わなければ、この国の近い未来に悲しい結末が待っているような気がします。

日本はこのぬるま湯のような居心地の良い環境に慣れすぎて、変化を求めなさ過ぎたのでしょうか?

日本の置かれた現在の状況から目を離さず直視し、教育を根本から改める勇気が求められています。

 

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おいどんなんぞが口を出す問題じゃないのは

重々わかってはいるのだが、やむにやまれぬ

たたかう現場監督