上杉謙信
戦国武将の中でおいどんが一番好きな武将です。
まずは義の武将だったこと、そして、戦いにはめっぽう強かったこと。
敵に塩を送ったかの真偽はわかりませんが、そのような言葉が残されるということは、謙信公ならばそのような行動をとっても、不思議ではないと思わせるような人物だったのでしょう。
武田信玄も、自分が亡くなった後は、義人である謙信を頼れと、息子の勝頼に言ったというお話も同様ですね。
普通 敵の大将にそんなこと思いませんよ。
応援要請があれば放ってはおけず、すぐに駆け付けちゃうようなイメージががあります。
亡くなられるまでに70数回の戦いをしたそうなのですが、完全な負けは2回程度いうことです。
まさに、自ら化身だといった軍神 毘沙門天のような強さです。
戦いは戦略的な戦いというよりも、戦術的な戦い方がほとんどだったと感じるのですが、領土を広げようなどという意思は希薄に思えるため、このように感じるのでしょうか。
戦い方に私心がないように思え、この戦国時代の武将の中で、非常に稀有で不思議な存在であるところが魅力ですね。(美化された小説を読みすぎたせいもあるかも・・・)
戦いに明け暮れた謙信公ですが、その軍資金は、青苧(あおそ)という植物から、越後上布という織物の生産を行い、海運船からの税金の取り立て、そして、金銀山(佐渡の金山は当時は採掘されていなかったらしい。)の採掘です。
(新潟というとお米なのかと考えてしまいますが、気候が寒冷なことや、沼地などの多い土地のため生産量は少なかった。)
おいどん 新潟に数年いたのだけれど、工事現場で雨の日も雪の日も、天候の悪さなど関係なく作業をしてくれている協力業者の人たちを見て、【こんな人たちが黙々と謙信公と攻めてきたら、これはかなわないぞ!】と感じたことを思いだしました。
by
新潟大好き人間のおいどん。
もう一度行きたいと願う
たたかう現場監督