スマホで変わる家族の形
人びとの嗜好が多様化し、多様化したニーズにこたえるべく進化していくスマホ。
昔は家に帰ってのお楽しみと言えば、当然、テレビですよね。
そのテレビもリビングに一つで、家族そろってテレビを囲み、テレビからの情報を共有していました。
(これはおいどんが子供のころの、昭和50年前後のお話ですね。)
共有された情報は、学校や職場でも共有され、みんなをつなぐ役割を果たしていたように思えます。
だが現在の状況を鑑みると、ほぼすべての人々がスマホを持ち、自分の好きな音楽・動画・ゲームなど、それぞれ好き勝手なものを楽しめるようになりました。
おかげで、あれほど隆盛を誇ったテレビも、かつてのような輝きがなくなりつつあります。
家族も夕食時などの、テレビを囲んでの団らんなどなくなり、夕食が終わればそそくさと自分の部屋に引き上げて、誰にも邪魔されずスマホ三昧?
こんな状態ならば、家を建てる時に大きなリビングなんていらないんじゃない?
・・・なんて感じてしまう、とりあえず建築士のおいどんなのです。
スマホは、ほぼ受け身のテレビよりも、いくらでも自分のお楽しみを、即座に手に入れることができるという、優位性を持っています。
このお手軽さがスマホの魅力であり、その恐ろしさなのでしょう。
家族とはいえ、スマホに夢中な人たちは、食事中の会話さえスマホに奪われ、ほぼ会話などない状態。
これは家族ではなくて、ただの同居人なのではないのか?
スマホによって、家族の分断がひそかに起こっているのでは・・・と危惧する おいどんなのです。
by
スマホという巨大な掌で踊らされていることに気づき
早く自我に目覚めよと訴えかける
たたかう現場監督