母なる地球
衣食足りて礼節を知るとは、よく言ったものです。
逆に言うと、衣食が足りなければ、礼節などないということなのでしょう。
行動の規範もなく、ルール無用の戦いを仕掛けてくる国も未だに存在します。
どの国も多かれ少なかれ、あくまでも自国の利益優先なのである。
まあ、自国がそれなりに豊かでなければ、ほかの国や地球全体のことなど考える余裕もないのですが・・・。
先日、COP26が開催され、環境問題について世界的な取り組みをするための協議が行われました。
このような協議が行われることは、非情に重要なことです。(人類にとって)
気候変動対策の一番の問題は、炭素排出量削減のための目標を各国(人類)が、本気で取り組むことができるか(問題意識を共有できるか)どうかということです。
その認識や取り組みに、温度差はやはり発生するのでしょう。
自国の利益が最優先で、地球や人類全体のことが二の次なんてことだと、環境対策が間に合わなくなりそうだ。
タイムリミット(あくまで計算値であろうが・・。)を定め、真剣に取り組まなければならないのです。(最後のチャンスかも?)
すでに70億人が存在する人類は、地球にとって鬼子なのであろうか?
母をいつくしむことを忘れ、母の許容値を大きく超えた活動をするまでになった人類。
地球の我慢も限界に近いのかも・・・。
足ることを知ることの大切さ。
あまりにも好き勝手をし、調和とか程々ということを知らぬ人類の未来は、あと二十年余りで決定しそうな予感がします。(あくまで私見です。)
緩やかな自死に向かっているように思えて仕方がないのです。
その時が来る寸前まで、自分たちは大丈夫だなんて思っているのでしょう。
未来を食らいつくすことは繫栄なのでしょうか?
お金お金の経済活動、いつか、お金で買えないものがあることを知るのでしょうね。
by
地球温暖化対策ビジネスの
手先となっているのかも?
ふと不安になる
たたかう現場監督