雨ニモマケズ

ご存じの通り、宮沢賢治さんの詩です。

 

この詩の中で、心に引っかかっていたのが

 

【あらゆることを自分を勘定に入れず】という部分です。

 

自己犠牲という思いでは・・という解釈をされている方もおられましたが・・・

 

物事を行う時や、決定する時、人間はとても弱いもので、

自分が怒られる、評価が下がる、好き・嫌い、損得などの感情が入り、

判断やタイミングが正道から外れてしまいます。

 

例えば、仕事で小さなミスが発生した時、上司に報告し、怒られてでも、きちんとした対応をすれば大した問題にならなかったことも、怒られるのが嫌で報告を怠り、後々とんでもないことになる。

 

建築工事の場合。

例えば、柱の墨出し(位置を出すこと)を間違えて、鉄筋を組み立てて、型枠を組み立てるときに気づいて、直せば、鉄筋の組み直しだけですむ。

(はっきり言えば、怒られるだけ。)

 

しかし、気づいてもそのっままにしておくと、型枠も組み立てられ、今更「直してください。」なんて言えない雰囲気に、さらに生コンなんか打設しちゃうと、もう大変!

出来たものぶっ壊して作り変えることになり、お金と時間の大損害となる。

(恐ろしすぎる。怒られるだけじゃ済まんど。)

 

良いことはともかく、悪いことの報告は、怒られてもすぐに上司に話しましょうね。

 

 

人間は感情の動物なのだから仕方ないのかもしれないのだが、

理性が感情に負けないように・・・

 

おいどんの解釈

あらゆることを己をむなしくして(自分の感情を消す、そこにないものとする。)導き出した、正道に則った行動ができ

よく見聞きし 分かり・・・と続くのではないかと、勝手に解釈しています。

 

 

もうすでに、皆にデクノボーと呼ばれ。褒められもせず 苦にもされない人間なので

あと少しで、宮沢賢治さんの理想に人になれそうな気がする、おいどんです。

 

 

     

by

現場では あらゆることに 自分を勘定に入れた指示ばかりをする

たたかう現場監督