多様性  教育に期待?

生物はその多様性により、幾度かの絶滅の危機から脱してきた。

昭和の時代の繁栄と成功体験があだとなり、変化することを拒み、あの頃の繁栄が続くと信じ、硬直化した社会。

その令和の時代の30年間、進化することをやめてしまったこの島国はいつしか、先進国からの落ちこぼれとなってしまった。

同調圧力が強く、多様性を認める寛容さはない。さらに、新しいことにチャレンジする気概などもなく、失敗しないことが最善。

このようなことでは、これから先の日本の国はどうなっちゃうのか不安でならない。

時代の変化に対応できる、多様性が求められていると感じます。

おいどんのような感覚が鈍いおっさんでもそう感じるのだから、間違いないのだろう。

改めて多様性を認めることができ、チャレンジする者をたたえることができる、懐の深い教育の大切さを感じます。

 

多様性の必要性についてバナナのお話を聞いたことがあります。

食卓に出されるバナナは遺伝子が同じで、同じものを作っていくプランテーションなどでは効率的で有効です。

会社員となって文句も言わずに働くだけの、同じような人間を作る教育は、効率的に使用人製造教育となっている。

暴動も起こさず、黙って耐えるだけの人々(おいどんも含む。)を見ると、使用人製造教育はある意味成功しています。

このバナナにある病気が流行しました。多様性などなく同じ遺伝子を持つものなので、壊滅的な被害にあってしまいました。

人間とバナナは違いますが、多様性があれば、その病気に耐性のあるものもあったかも・・・。と考えてしまうのです。

前例がないので、なかなか改革を起こすことは容易ではないのでしょうが、国家百年の計だと思って進めてほしいのです。

教育を飯食う手段とするだけの教育屋ではない、本物の教育者の方がおられるのであれば、よろしくお願いしたいと心から思うのです。

 

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教育の効果が表れるには

長い時間がかかります。

流行りや思い付きでない教育を願う

たたかう現場監督、