涙あふれるほど 

オリンピック、パラリンピックが終わってしまいましたね。

スポーツを見ていて、ふと思うことがあるのです。

歓喜の涙、悔し涙など、スポーツ選手が流す涙を見て、結果が良かったにせよ悪かったにせよ、これほど涙あふれ感情が高まることは、おいどんなんかが想像もできないような努力を、重ねてきた人にしか味わえないものなのだろう・・・。

自分の人生を振り返って、涙あふれるほど何かに本気で向き合い、努力したことがあるのか、自分に問いかける おいどん。

さみしいことながら、はっきり言って無い。

中学校三年生だった長男坊が、地域のサッカーの大会の決勝で敗れ、チームメイトと涙する姿を見て、少しうらやましく思ったものです。

「なんでこいつら、こんなに熱いんだよ!」なんて・・・。

熱くなれない中途半端なおいどんだが、五年前、ある資格を取るべく勉強したことがあります。

きっと合格したら、おいどん 泣いちゃうかな・・なんて思いながら。

人生に一度くらい、涙するほど勉強してみようかと、勉強を始めました。

平日は3時間、休日は6時間を目標に、二年と半年頑張ってみました。

が、結果は不合格。

もともとのポテンシャルが低いことに加え、加齢による能力低下が追い打ちか?

試験をあきらめたことも残念ですが、それよりも、人生で一番勉強したのにもかかわらず、一滴の涙も出てこないことに、ガックリして涙が出そうです。

やはり、おいどん程度の努力では、涙なんか出ないのでしょうね。

 

ああ そういえば、一度だけ失恋して泣いたことがありますね。

この時のおいどんはちょっとだけ熱かったのかも。

その時は衝動的に、会社に退職届を出しました。

「なんでやめるんや? なんかあったんか?」と上司に聞かれても、

「ゼロになりたいんです。」とわけのわからないことを言ってた。おいどん。

そのころ(かなり前のお話です。)、B’zの「ゼロ」という曲があり

「ゼロがいい、ゼロになろう、もう一回。」というフレーズがあり、そこからインスパイアされた発言です。(単なるバカか?)

結局、退職を思いとどまった おいどんでしたが・・・。

 

PS

次男坊が小さいころ(2・3歳)、流した涙を見て、

「なんでこんなに涙の粒が大きいの?」といつも思っていました。

顔が小さいため、余計に涙の粒が大きく見えたのでしょうが、

「純粋な子供の涙は、きっと、大人の涙よりも表面張力が大きいため、涙の粒が大きいに違いない!」といまだに思っているのです。

 

by

もう、自分自身のことでは

泣かないような気がする

たたかう現場監督