行動に徳 (仁・慈しみ)を・・・

人々の行動の中に、「徳」の要素を見かけることが少なくなったような気がする。

自己中心的、独善的、むき出しの欲望を隠しもしない人達。

混沌としたこの時代には、このような動物的な人たちが適しているのだろうか?

控えめに、気配りを忘れずになんて考えは、やったもん勝ちのこの人たちにとっては、邪魔者でしかないのでしょうね・・・。

多様性が尊ばれる中で、いろいろな生き方があり、このような生き方も容認する必要があるのでしょう。

ただこの寛容性の少なくなった今こそ、徳としての慈しみの心を、人間として持っておいてほしいのです。

自らの才能と努力、そして天運に恵まれて財を成し、有名になった人々の中で、財産の多さをひけらかし、破天荒な散財で注目を浴びているさまなど見ることがあります。

このような行為を見るたびに、お猿さんが欲しいものを手に入れて、はしゃいでいるように思えて、見苦しかりける有様なりと思うのは  おいどんだけですかね・・・。

(まあ、貧乏人のひがみなのですが・・・。)

そのお金を、優秀でも経済的な問題などで、学校に行けない若者たちのために使ってあげれるなら、どれだけ良いだろうにと思ってしまう おいどん。

そのほうが、よっぽど称賛され、尊敬される英雄的な行為だと、かたくなに信じているのです。

教育を受け立派になった若者が、また同じ思いを受け継ぎ、同じ境遇の子供たちを支援するようなスパイラルを、構築することができれば喜ばしい限りです。

また、異常気象による河川の氾濫などの被災地が増えている現状を考えると、インフラ整備(堤防のかさ上げ・川幅の拡大など)への支援もありですね。

【信玄堤しんげんづつみ】ではないですが、歴史に名を残せるかも・・・。。

人間は弱いもので、自分に利益がなければなかなか思っていても実践することはできません。

もし、幸せの満腹中枢が壊れていなくて、もう十分幸せだという方が存在し、慈しみの心が残っていれば、人として目指すべき人物像を示してほしいのです。

 

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どうすれば人間

ここまで卑しくなれるかという

人生をかけた演技を続ける

 たたかう現場監督