淮南子を読んで・・・。
以前読もうとしてみたものの、読みかけて本棚に眠っていた本です。
読み始めていくうちに、この文章の中に編纂者 劉安の、得体のしれない気概を感じ始めていました。
皇帝のあるべき姿、思想など、指南書のごとき体をなしています。
心に残ったのは「虚心恬淡」の言葉(現代語訳の中に出てきます。老荘思想の言葉ですね。)
心をむなしくして、何のわだかまりもなく、物事に臨む。こんな意味でしょうか・・・。
もう少しで、この境地に達することができそうな気がしているおいどんです。
(単なる勘違いでしょうが・・・。)
また道について述べられていることも心に残りました。
「至上の道は、万物を生み出すけれど自己の所有とせず、万物を作り出すけれど、それらを支配しない。」
「道はどんなに蓄えても、別に富むことはなく、どんなに施しをしても、別に貧しくなるわけではない・・・。」(現代語訳 抜粋)
施しをすればいつか自分に帰ってくるだろうなんて、思いあがっていた おいどんには突き刺さる言葉です。
武帝による中央集権化の中、諸王侯の勢力が削られていきました。
いつかその粛清の波が、我が身にも押し寄せること言を予見していたのか、逼迫したような思いが、この本の中に詰まっている気がしてならないのです。
結局劉安は謀反の罪を着せられて、自害することになります。
淮南子はこれに関連する編纂された書物がほかにもありましたが、他のものはすべて散逸しています。
ただ、劉安の思想は二千年の時を超え、彼の考える道のように「無いように見えながら有り、亡くなったように見えながら存在している」のです。
by
このような本を読むことは
しみじみ必要だと思う
たたかう現場監督