クリスティーナ・ロセッティと金子みすゞ
それはおいどんが大学生だった時のこと。
ある調べものの途中、一冊の本の中の詩が、なぜか心に残りました。
【私が死んでしまっても】
私が死んでしまっても、
愛しき人よ
私のために悲しい歌を歌わないでください。
・
・
・
そして、あなたが思い出すのなら思い出し
わすれるなら、わすれてください。
かなり省略していますが、平易な言葉でつづられ、その詩の柔らかく切ない感覚が 、いまだに心に残っているのです。
日本ではあまり知られていないようですが、その詩から感じられるものが、金子みすゞさんの詩に似ているような気がしたことが、第一印象でした。
見えないものや、明るい部分の裏にある影の部分、ふと見過ごしてしまいそうな物事を感じ取れる、その優れた感性に危うさを感じながらも、
この寛容さのなくなったパサパサした時代の今、この2人のこころにしみ込む詩に、ふとひかれてしまうおいどんがいます。
ロセッティは、19世紀中から後期にかけて、西洋美術において活動したグループ、「ラファエル前派」のメンバー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティを兄に持ち、兄や他のメンバーの作品のモデルにもなっている。
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いつか、金子みすゞの生まれた、山口県長門市に行ってみたいと、
しみじみ思う たたかう現場監督。
でんわ
おいどんの青春時代には、当然 携帯電話はなく、家には一台の電話機がおかれていました。
女の子の家に電話かけるときなんか、緊張しましたね。
受話器を取るのが親だったらいやだなーなんて。
今みたいに直接連絡が取れるわけではないので・・・
電話機は家にしかないため、彼女が家にいなきゃ連絡取れない。
また、連絡出来て待ち合わせの約束しても、途中で連絡なんてできないわけだから、待ち合わせ場所で、彼女を信じて待つわけです。
このまどろっこしくて、甘ったるく切ない時間を、そのお手軽さゆえに、人々から携帯電話は奪ってしまったような気がするのです。
「電話番号を指が覚えている。」
「受話器を置いた。」
「ダイヤル回す。」(プッシュフォン出現から徐々に使われなくなる。プッシュフォンて、若い人はわかんかな?)
これらの歌の歌詞となるような場面も、陳腐なものと化していくのだろうか。
古き良き時代の電話機の持つ、情緒的な機能を奪い去ってしまった、携帯電話。
当時 家族で月額3000円程度だった電話料金は、おいどんの家では4人で20000円越え(携帯の機器代が含まれるとはいえ)家計に占める割合がずいぶん大きくなってしまいました。
しかし、携帯電話はさらなる進化を遂げて、ますます無くてはならないものとしての地位を築いていくのでしょうね。
30年位前にショルダー型の携帯電話を見たとき、こんなふうになるとは思ってもいませんでした。
技術の進歩はおいどんの想像を追い越していますな。
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技術の進歩に置いてけぼりにされる
たたかう現場監督
わが祖国 NIPPON
なんてすばらしい国なんだ。この日本という国は・・・。
この国に生まれただけでラッキーだったと思える。
古き良き文化・伝統が息づき、近代的な側面も合わせもつ。
人々は温和で礼儀正しく、ほぼ教育が行き届きまじめ、戦争を好まず、平和な時代が80年続いている。
繁栄のピークをすでに過ぎて30年たつのだが、ほとんどの人はこの国がこの先も、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで続くと信じているらしい。
おいどんもそう信じていたいのです。
一番悩ましいのが財政問題ですね。
国の借金は増え続けるばかり・・・。
あれは借金じゃないという人がいるが、借金じゃないんなら消費税なんてなくしてしまおうよ。
このまま借金生活をいつまでも続けるつもりなのでしょうか?というか、やめられないのでしょうね。(破綻するまで)
身の丈に合うように、財政支出を削減すると、国民から不平不満が続出して、選挙で大敗しちゃう。
お役人様的に言うと「前例がないから削減はできません。」なのかな?
誰も火中の栗を拾うことなんかやらないよね。自分の身がかわいいから。
そりゃ議員続けていたいもんね、せっかく努力してなれたんだから。(おいどんが議員ならそう思うよ。)
国民だって、自分たちが割り食うのが嫌だから、現状維持でってなっちゃう。
(俺たちの生きている間は大丈夫だろう・・・)
これは悪いスパイラルですな。みんな他人事ですから。
志を持った覚悟のある政治家現れろ!頼む。(すでに他人事ですな。)
もしくは、若者が政治に当事者意識をもって参加しての改革か、お決まりの外圧(令和のペリー提督現れろ!)に押されての改革をするしかないのかな?
間に合えばいいけど・・・。みんなが日本円にまだ価値があると信じているうちに。
こんなこと思っているの おいどんだけじゃないと思うのだが・・・
日本の国よいつまでも。
PS
こんなこと書いていると
小松左京さんの【靴屋の小人】ってショートショートを思いだしました。
気になった方は読んでみてくださいな。
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この国を愛する
力なき小市民の
たたかう現場監督
シマちゃんと楽しい仲間たち 3
おいどん 入社三年目のとある日。(約三十年前のお話です。)
ほぼ同じ時期に、広島支店から東京に転勤になった、恐怖の大魔王 先輩のシマちゃん(約10歳年上)から電話です。
「今日、大宮(埼玉県)の○○ちゅう(と言う)飲み屋で、広島から来た人間で集まって飲むけー来いよ!」
「はい分かりました。」と瞬時に返答。
一瞬のためらいも、シマちゃんに見せてはならない。
「まさか、今 一瞬 躊躇した?」
「ちょっと間がなかったか?」などと絡まれてしまうのがおちだ。
同期のものが、ある飲み会で、シマちゃん怖さのあまり、ビールを注ぎにいかなかったら、
「お前ら酒も注ぎにこんのんか!」と頭をしばかれ。
別のものが注ぎに行くと
「10年早いわ!」と これまた頭をしばかれる。
「どうすりゃいいのさ・・・」と嘆いていた彼の言葉が頭をよぎる・・・
とにかく、シマちゃんのご機嫌を損ねないことである。
さて、日も傾き、業者の人が帰っていくと、そそくさとおいどんも現場を後にする。
ただ現場は葛飾 柴又の近く。シマちゃんの指定した時間にはかなり無理がある。
電車を乗り継ぎ 必死の形相で 指示された飲み屋さんへ急ぐ。
指定された時間からはすでに一時間近く遅れている。(ドキドキですなー。)
やっと到着し、案内され、シマちゃんの様子を見ると、他の先輩4名に囲まれてご機嫌な様子。
「フォッ、フォッ、フォー。金は無尽蔵にある。」とご満悦。
ちょっと安心して「お疲れ様です、遅くなりました。」とあいさつをする。
「おっ、来たか。それじゃ、駆けつけ三杯じゃのー。」と優しくグラスを渡してくれる、シマちゃん。
その右手にはウイスキーの瓶。
「やっぱり、ビールではないのですね。」と おいどん心の声。
(琥珀色がとってもきれいに見えたのはなぜ?)
当然ためらいは許されません。
グビグビと立て続けに3杯。
「ええ飲みっぷりじゃのー。」と シマちゃん嬉しそう。
しばらくして、お酒に弱いおいどんは、酒が回り始めたので、このままではえらいことになると思い、トイレで先ほど飲み込んだウイスキーをリバース(吐く)することにした。
ことを済ませ、5分くらい休んでいると、中ちゃん先輩が心配して見に来てくれました。(千鳥足で)ありがたいですねー。
「ええか、もどす時はの…よう見ちょけよ。」と言って、急に右手中指を、喉の奥に突っ込む素振り。(もう、呂律が回ってないど。)
その瞬間、中ちゃん先輩 本当にゲロンパ。
指を突っ込みすぎたらしい。(当然片づけはおいどんです。すっかり酔いはさめてしまいました。)
立場は逆転して、中ちゃん先輩を介抱する側になりました。
「わしゃー、大丈夫じゃけ、席に戻っとけ。」と言われ、和式便所にひとり 中ちゃん先輩を残し、シマちゃんたちのいる席に戻る。
しばらくして、
「中ちゃん、帰ってくるの遅いのー。ちょいと見に行ってこい。」とシマちゃん。
おいどん いそいそと席を立つ。
トントンとドアをたたいても返事はない。
仕方ないので、ドアの下の隙間から中をのぞいてみる。
ギョギョ!(さかなクンではありません。)
中ちゃん先輩の顔がこっち向いてたど!
しかも、半分目が開いてたど!(怖すぎ。)
中から鍵かかっているし、内開きの扉の為、転がってる中ちゃんの体で、ドアが開きません。
困ったもんだと思いつつも、しょうがないので、トイレブースと天井の間の隙間(約40cm程度)からブース内に入り込み、中ちゃん先輩を救出。
めでたしめでたしですが、宴はその後1時間続きましたとさ。(やれやれ。)
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人生の理不尽さを教えてくれた
偉大なる先輩、シマちゃんに感謝する。
たたかう現場監督
うつろ~リボーン
家のプランニングを考えるとき、その家がそこに住まわれる人達にとって、幸せ溢れるよき器であるように切に願う。
プランしていく中で、住む人の希望をできうる限りかなえられるように検討を重ねる。
全てをかなえることは難しくても、喜んでもらえるプランが出来上がると、こちらもうれしいものです。
仕事柄、住人が夜逃げしたような住宅のリフォームを依頼されることがある。
片づけなどされていなくて、家族の写真や、小さな子供のおもちゃなど残されて居ようものならもういけない。
こころの中にぽっかりと穴が開いたような気分になってとてもやるせない。
体から力が抜けていく感じがしてくるのです。
住まわれていた方たちの生活を詮索するわけではないのですけど・・・。
この家にもかつては、微笑みあふれる生活があったのだろうと勝手に考えてしまうのです。
住む人がいなくなり、放置されたままのこの家。
建ったばかりの頃は、夢や希望で満ち溢れていたはずなのに・・・
このままさみしい最期を迎えてほしくないのです。
一生の中で最大の買い物と言ってもよい家。
リフォームを進める中で、新たに生まれ変わっていくこの家が、末永く幸せ溢れる器であってほしいとしみじみ思うのです。
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建築は住宅に始まり、住宅に終わる。
と勝手に決めつける。
たたかう現場監督
前掛け袋 酒蔵巡りの楽しみ
十年以上前のお話です。
オヤジの故郷の鬼北町(愛媛県)に帰っている間に、高知市までドライブに行きました。
四万十川にそって車を運転していると、小さな商店街があり、何か面白そうな感じがしたので立ち寄ってみました。
ふと酒屋さんのお店が目に留まり、入ってみる。
こじんまりとしたショップだが面白いものがいっぱい。ワクワクです。
酒蔵の名前は無手無冠。ムテムカと読むそうです。
珍しい栗焼酎とおしゃれなデザインの前掛けを2枚すぐに購入。
お店に売ってた前掛けを使ったバッグがとてもかっこよかったので、家に帰ると早速義母に依頼。
出来上がったバッグはもう最高です。
記事も丈夫だし、紺色の生地の鮮やかさと、白抜きの文字。ストラップのオレンジ色がとても映えて見栄えがします。
「かっこいいバッグですね。」なんて言われるととてもうれしいのです。
これが切っ掛けとなって、今ではバッグを4つ所有。
同じく高知県の、「司牡丹」、「酔鯨」、北海道の「国士無双」です。
ポケットがついているのは無手無冠さんと酔鯨さんのもの、小物など入れるのには重宝します。
酒蔵巡りをする時には、そのお店独自のグッズをお酒と一緒に購入することが楽しみになっています。
また機会を作って酒蔵巡りをしたいものです。
高杉晋作
中学校の歴史の授業で、友人から
「高杉晋助に似ちょるのー。」と言われたことは、なぜかいまだに覚えているのです。
教科書には馬のように長い顔で、なで肩の人物の写真。
「どこが似ちょるんじゃ、俺のほうがまだかっこええわ。」と心の中で思った記憶も残っています。
まったく興味がなく、テストに出てきちゃいけないので、名前くらい覚えておこうかなという程度だったのです。
高校生になってから読書が好きになったせいもあり、手にしたのが古川 薫先生の【高杉晋作ーわが風雲の詩】。
読んでいるうちに高杉晋作という人物に興味がわき、古川先生の【高杉晋作奔る】【松下村塾】などなど。
自分がこのような人になれないのがわかっているから、なおさら魅了されていったのでしょう。
命を懸けるのはこの時とばかりの、功山寺の挙兵は圧巻です。
挙兵に反対する者には「一里行けば一里の忠、二里行けば二里の義、今はその時ぞ。」と殺されても行く覚悟を見せ。
功山寺に京から逃れてきた三条実美ら五卿には「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す。」と言い放つ。
(この部分書いているだけで、気持ちが高ぶり涙がでそうになるのは、おいどんだけか?)
長州藩が正義派(尊王攘夷)から俗論派(佐幕派)に体制がほぼ固まりかけたとき、伊藤博文の力士隊(奇兵隊)を含むわずか76人で挙兵します。
このままでは日本はダメになると思ったのでしょう。現実に中国の状況を見てきた晋作の決断です。
その後、日和見をしていた山形有朋なども参加し、藩の体制をひっくり返すという奇跡を起こします。
「動けば雷電のごとく、発すれば風雨のごとし・・・」とある碑文の通りの働きです。
この人は変わった人で、これだけのことをやったのだから、それなりの地位を手に入れればいいと思うのですが、そのようにしないのです。
人間というものの本性を知り、組織の枠に収まりきらない自分を知っていたのでしょうか?
彦島(山口県)の租借による香港化を防ぎ、長州征伐では幕府海軍を翻弄するなどの功績もあります。
武士の身分でありながら、三味線を弾き、自ら作った都都逸(どどいつ 小唄)を唄い、金遣いは破天荒。
まさにこの人、天から地上に舞い降りた革命児なり。
享年27歳。
by
若い時は帰省した時に、車で下関に走り、
晋作の墓参りを済ませたら、そのまま駐車場で一泊していました。
この話をすると、相手にドン引きされる
たたかう現場監督